動物の妖怪-猫又・化け猫

化け猫といえば佐賀の鍋島が本場ですが、鎌倉時代から猫は化けるものとされてきました。

猫が日本に初めて輸入されたのはいつか、というのには諸説ありますが、奈良時代の前期にはすでに日本初上陸を遂げていたかもしれないと言われています。
平安時代には光孝天皇が黒猫を飼っていたといわれ、枕草子や更級日記など女性の日記文学にもたくさん登場しています。

猫はまず、中国で化けるものとされていました。
中国でもねずみを捕ってくれるありがたい存在ではありましたが、トラやヤマネコが人を化かして食べてしまう話もたくさん伝えられていたので、飼い猫も同じく人を化かすのだろうとされたようです。

この話が日本に伝わったのかどうかはわかりませんが、まず日本の猫又は山間部で人を襲う妖怪なのだと説明されたのが、文献に猫又が始めて登場した藤原定家の明月記です。
それから約30年後に出された古今著聞集でようやく、飼い猫が宝刀をくわえて姿をくらました猫又の話が出てきます。

ところで猫又は猫の尻尾が二股や七股などに分かれているのが特徴ですが、みなぎ得一という漫画家によると尻尾を使って二足歩行を安定させ、より高度に化けるためという説があるそうです。
いまジャパニーズボブテイルと呼ばれている尻尾の短い猫は江戸時代に長い尻尾の猫は化けると嫌われ、品種改良というか自然淘汰されたために定着した品種だとまで言われています。

富山には猫又山、福島には猫魔岳、日本各地に猫屋敷や猫山という地名があります。
猫山は猫がうずくまっている形に似ているからつけられたのかもしれませんが、お近くにあれば知られざる化け猫伝説が埋もれているかも知れませんね。

佐賀の化け猫・鍋島騒動では、お姫様が殺されるときに怨念を飼い猫に託したという筋書きが一般的で、この猫はむしろ恩返しというか、あだ討ちをしたという見方ができます。
いまいち情が深いと評価されることの少ない猫の怪談の中では若干異色です。

与謝蕪村画『蕪村妖怪絵巻』より榊原家の化け猫。深夜の古屋敷で手拭をかぶって踊るネコを描いたもの。本文中には夜な夜な猫またあまた出ておどりけるとあるものの、尾が二股と伝えられる猫又と異なり、尾は1本として描かれている

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